「小さな兆し」と「大きなうねり」・・・未来は予測できるか?

未来予測

12月12日が今年の漢字の発表の日だそうです。過去の「今年の漢字」を調べていたら、予想しているサイトがありました。予想は「倍」だそうです。

 

確かに「倍返し」と「安倍」に「倍」の字が使われていますもんね。

 

ただ、残念ながら、このサイトは過去4年連続で予想を外しています。だから、今年も・・・(以下略

 

ちなみに「偽」は2007年の「今年の漢字」でした。今年も、また「偽」でもいいんじゃないかという位、ニセモノが溢れた年でした。あれ程当時騒がれたのに、反省したはずなのに、そして対岸の火事と思わず反面教師としたはずなのに・・・

 

また繰り返すのです。たった6年で。

 

 

 

「時を読む」事と未来を予測する事

 

今日は、月一の十干十二支や九性氣學を学ぶ勉強会に一日行ってました。先月から改めてしっかりと勉強してますが、頭がぐちゃぐちゃになります。

 

私は別に占い師になりたい訳ではないので、仕事を通じてこの知識や智慧をクライアントに提供する事や、身近な人たちの助けになればと思って勉強をしてます。特に家族については、自分のフィルターを通した主観で見るよりも余程、生活において、関係性において、役に立つ事ばかりです。

 

勉強すればするほど実感する事。それは人類の、先人たちの叡智は「凄いぞ!」という事です。今日はこれらを紹介したり、解説する事が目的ではないので、詳細は書きませんが、私達の身の回りにある言葉や事象は、意味を知るともっと面白くなる事ばかりです。

 

「何でこれを小学校で教えないのさ」と感じる事も多々あります。例えば、「午前」「午後」って何の「前」と「後」か分かりますか?(ググったら直ぐ出てくるので、気になったらググってみて下さい)

 

過去、日本ではこのように時を測る事が日常の中に溢れていたものの、戦後教育の中で徐々に失われていきました。文化・習慣の断絶、とは智慧を分断していくモノなのでしょう。(それを狙ってやったんでしょうけどね)

 

 

で、未来は予測できるの?

 

結論、出来ないと考えています。

 

なぜなら、現代において、未来を予測するにはあまりにも「変数」が多すぎる事。そして、不確実性の支配する複雑系の世界においては、過去からの連続の先に未来はやってこないのです。

 

つまり、携帯電話の発展形は「iPhone」ではなかったという事に代表される事例がそれを証明しています。それは全く別次元の発想です。今でこそ、ガラケーからスマホへの発展が当然だったかの様になっていますが、iPhoneが発表された当時、ジョブズは「Re-invent」という言葉を使いました。「再発明する」、まさに新たな価値を、生活スタイルを世にもたらしたモノです。

 

ですから、未来を正確に「予測」する事は不可能だと思います。ただし、過去の統計上のデータを用いて「場(年・期間)のパターン」を知る事や、「歴史は繰り返す」と言われる様な「周期」を見ていく事で、大まかな流れは掴むことが出来ます。

 

過去、先人たちが行ってきた「時読み」とは、つまりは膨大な統計データを元に、「大きな流れ」を知る事で、それを生活に、政治に、経済に活かして来た事であると、今のところの私の拙い理解では解釈しています。

 

 

その「小さなほころび」が「兆し」となって表れてくる

 

では、21世紀に生きる私たちは、何に目を向けるべきなのか。

 

それは、まず日常の「小さなほころび」に目を向けることです。

 

「何か違うぞ」と感じるような違和感。「しっくりこない」感じ。「何かおかしい」という漠然とした疑問。すっきり晴れない心。敢えて言う程じゃないけど、軽い失望感。もう何も言いたくなくなるような絶望感。

 

逆にプラスの側では、「いいとこあるやん」と見直すこと。「捨てたもんじゃないな」と誇らしげに思う気持ち。「凄いやん」と素直に感動する心。手の中にあるものが既に素晴らしいと気付く心。

 

それらは、終わりなき日常に訪れる、「小さなほころび」なのかもしれません。

 

そして、それがいつしか「兆し」となって、一つの流れを作っていきます。でも、まだ全然メインストリームじゃない。しかし、確実に共感する人、応援する人は増えて行きます。

 

 

「大きなうねり」は急に来る

 

そして、それが大きなうねりとなった時には、凄いエネルギーを持った形となっています。一瞬にして世の中を覆う様な価値観の変化が起こります。

 

これだけ声高に食の安全や信用の問題が取り沙汰されている中でも、まだまだ明るみになっていないだけで同等レベルのモノが世に蔓延しているのは、それは、まだ「うねり」にはなっていないからです。今はまだ「兆し」の段階なのだと思います。

 

2007年の漢字は「偽」だったと冒頭でお伝えしましたが、丁度その年、私はクライアントの役員会議用に一つの資料を作っていました。タイトルは「取締役の職責とは」

 

中身の詳細は覚えてませんが、その中にブータンのGNH(Gross National Happiness:国民総幸福量)について触れた事は鮮明に覚えています。要は、最終的に会社経営をしていく中で、目指す先には社員や関わる人々の幸せが目的の一つになってくる、だから、指標化しないまでも、目指すゴールの形としてGNHの様な概念を取り入れていく必要がある、という様な事を書いていました。

 

それから4-5年経って、震災後、国王が来日した事に合わせて、GNHの話は日本国内でも話題になりました。殊に、震災の後という事もあって、多くの人が「幸せとは」と改めて考え直していた時期だったという事もあり、関連書籍も多く出た事を覚えています。

 

私が2007年に感じた事は、ちょっとした体感的な違和感だけでした。そして、それは数年後、一つの「兆し」となって世に表れました。しかし、まだ大きなうねりとはなっていません。

 

今、「ブラック企業」という言葉が盛んに使われています。まだ「幸せ」とは対極にあるものが、世の注目を集めています。このような事象の本質は、それを「煽る事によって商売のタネになる人たちがいる」だけの事で、本質的に捉えれば、こんないがみ合う不毛なイザコザは必要のないものです。

 

本質を見れば、本当に罪な組織は消えていきますし、真っ当な組織は残って行きます。私たちが声を上げるべきは、一つ一つの事象に対して集中砲火的に外野から批判する事ではなく、本来目指すべき姿を、夢を、希望を、それは時には「理想論」と呼ばれる事を語る事で、世に信を問うていくことではないでしょうか。

 

 

うねりをうねりと感じた時には、乗り遅れていたら、もう付いていく事は出来ません。取り残されます。

 

自分の心が正直に反応する体感的な感覚を研ぎ澄ます事と、世の「時の流れ」を知る事。そこから導き出されるモノは「未来を予測」するという予言めいた事ではなく、「予見する」という、大局を見極める力となっていきます。

 

 

だから、あなたが今、「何かおかしいぞ」と理由も無く感じている事は、恐らく正しい反応なのです。そこから「小さな兆し」を見つけていってみて下さい。

 

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